「 りんごを実らせるのは、りんごの木です。主人公は人間ではなくりんごの木です。人間はそのお手伝いをしているだけです。」
これは、『 奇跡のリンゴ 』で有名な木村秋則さんが自然栽培を語る時によく使う言葉ですが、実は、この言葉に自然栽培の本質があると、弘前大学の教授 杉山修一さんは、著書『 すごい畑のすごい土 』の中で説明しています。
杉山教授は、自然栽培、慣行栽培、有機栽培、放置栽培、この4種類の違いをゲームに例えます。
慣行栽培、有機栽培はともに、生産者がゲームの主要なプレイヤーである。
一方、放置栽培では、生産者はプレイすることをやめ、ゲームを傍観します。
当然、何もしないので作物は害虫や病原菌による被害を受け、ゲームに勝つことは出来ません。
それに対して、自然栽培では、生産者がプレイヤーをやめるのは放置栽培と同じですが、傍観するのではなく監督としてゲームに参加するのです。
自然栽培のスタイルは、ゲームのプレイを圃場(ほじょう)に棲む全ての生き物に任せること。
圃場には、作物に害を与える敵対するプレイヤーもいれば、敵を抑える味方のプレイヤーもいます。
それらは、地力をつくるプレイヤー、病原菌と戦うプレイヤー、害虫を防ぐプレイヤーなど様々です。
監督の役割は、敵の動きを抑える味方のプレイヤーを元気にすることです。
そのためには、まず、有力なプレイヤーを集め、彼らを緊密に結びつけて強力なチームにすることが大事で、それが自然栽培というゲームでの監督の役割なのです。
有機栽培と自然栽培の根本的な違いは、プレイヤーとして振る舞うか、監督として振る舞うかの役割の違いにあり、天敵を例にとれば、両者の違いがより分かり易くなります。
有機栽培では、人工的に飼育した天敵を合成農薬の代わりに圃場に放します。
しかし、自然栽培では、圃場の環境を天敵に合うように変えて、天敵を其処に棲み着かせます。
天敵を害虫防除に使うにしても、散布するのと棲み着かせるのでは考え方が大きく違うのです。
簡潔にいえば、自然栽培の基本的な考えは、肥料・農薬を撒く代りに圃場の中にある「生物の力」を利用するということになり、
このスタイルは、これ迄の農業には見られない全く新しい考え方になります。
そして、この「生物の力」とは、決して神秘的な神がかりの力を意味するのではなく、自然界に普通に存在している力だということなのです。
いかに「生物の多様性」を促すか、これが自然栽培における監督の腕の見せ所なのでしょう。
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参考文献:杉山 修一(2013)『すごい畑のすごい土』 無農薬・無肥料・自然栽培の生態学 (幻冬舎新書).